1961-05-18 第38回国会 参議院 文教委員会 第27号
○説明員(村山松雄君) 教員養成の教育として基本的に必要なものは、広い視野に立った国民的教養の基礎の上に教員として必要な専門的知識、技能を備え、かつ児童、生徒の発達段階に応じて適切な指導をなし得るところの教職的教養を備えることが必要だ、しかもそれらの知識、技術が個々ばらばらに断片的にあるのではなくして、自主的な人格の中に総合されて備わらなければならない、そういう教員の資質を実現するためには一般教養、
○説明員(村山松雄君) 教員養成の教育として基本的に必要なものは、広い視野に立った国民的教養の基礎の上に教員として必要な専門的知識、技能を備え、かつ児童、生徒の発達段階に応じて適切な指導をなし得るところの教職的教養を備えることが必要だ、しかもそれらの知識、技術が個々ばらばらに断片的にあるのではなくして、自主的な人格の中に総合されて備わらなければならない、そういう教員の資質を実現するためには一般教養、
しかし一面先ほども御説がございましたが、教員になりますには、単に一般的教養が高くなればいいという面だけではなく、教員の特別なる、いわゆる教職的な教養というものが相当必要と考えられるのでございまして、この一般的教養と教職的教養と、両面を具えました教員養成の機關は、どうあるべきかということにつきまして、刷新委員会の決議を十分尊重しつつ、なおその點についてただいま再検討をいたしておるのでございます。
一口に言えば教職的教養というものにもつと重きを置かなければならん、それが教育刷新委員會の答申案の中には積極的には現われていない。その點は甚だ遺憾であるというような話がありました。その二つの意見を綜合いたしまして、今後の教師養成機關の内容的の改善を圖らなければならないというのが現在の文部省の立場である。
若し宗教講座というものを文理科大學とか、或いは高等師範學校とかいうものにおくといたしますと、それの教職的教養というようなものとの連關、或いは一般的、人間的な教養というものとの連關を相當綿密に考えて、弊害のないように用心をしておかないと、憲法竝びに教育基本法の精神に背馳するようなことになりはしないか、その邊を檢討する必要があると考えております。
その點に司令部の方では滿足いたしませんので、ほかの專門のところに專門の教育が必要であり、教師には教師たる資格を得るための教職的教養というものが十分強調されなければいけない。ところが刷新委員會においてはそれが非常に輕んぜられておる。